設立趣意書

現代は世界を挙げて大いなる「変化の時代」であります。其の変化は、速度に於て、内容に於て殆ど常人の予想を絶するものであります。
二十一世紀は、措いて問わず、所謂1985年の世界が現在各国専門家の大問題となっております。
この大いなる変化は、同時に文明と民族の恐るべき運命の問題であります。その為に我々日華両国を繋ぐ道交の同士は益々日華間従来の各種聯誼活動を盛んにし、特に経済については、あくまでも経世済民の本義に則らねばなりません。幸に本会は年と共に久敬を加えて来ました。

亜東親善協会は昭和24年(1949年)8月2日、東京において創立された華南倶楽部が発祥であります。
当時この倶楽部に参加した会員は、かつて華南において親しく交わっていた二十数名の日華人が中心でした。
お互いの間には国家的対立観念も、民族的抗争意識もなく、ただひたすらに亜東人の平和と幸福及びそれを基調とする国際関係の樹立に努力してきた間柄でした。かかる友情と信頼は太平洋戦争後の混迷期にも立消えることなく反って燃え上がり期せずして倶楽部の発足となったわけです。従って共に亜東民族としての兄弟愛を基調とする国際関係の樹立こそ華南倶楽部の生命であり、会員相互が何のわだかまりも無く、胸襟を開いて談じあえるところに大きな特徴があったわけです。

発足当時は会員数も少なくかつ社会的にも知られていない団体でありましたが、こうして嵩高なる姿が巷間に伝わるに及んで、日本各地にいる中国の東北、華北、華中の出身者はいうに及ばず、東南アジア各方面の志を同じくする有志多数が参加を希望するところとなり、これまでの局地的名称である華南倶楽部では不適当ということになり亜東工商協会と改名いたします。特に工商協会と名付けたのは複雑な政治情勢にかかわることなく、協会の性格が政治を超えた次元にたつことを鮮明にするためでした。会員も個人的にはそれぞれの政治的立場もありましたが、協会としては個人の政治的立場や思想を持込まれて利用されることに強く反対してきたためです。

ただ会員個々の思想的な傾向を論ずるならば、自由主義陣営の同調者あるいは同志であることは言うまでもありません。

かくして各方面の有志多数の参加を得た協会は、会員の犠牲的努力によって、留学生の指導、居住問題の解決、生活安定に対する協力及び商業上の紹介など顕著な成果を挙げ、なかでも毎月開催の例会においては各界の人士を招聘して講演を依頼し、各国の政治・経済・文化の紹介に努め、その実績は高く評価されてきました。

今や創立いらい約二十一年を経過し、会を重ねること二百会を超え、所謂久しうして人之を敬するものであります。
会員は、日本国内はいうに及ばず東南アジア各地にも拡大され飛躍的発展の時期に達しました。
そのため本年度においてはさらに財政的基礎を確立し、役員にも新鋭を加え、いうところの70年代に臨む体制をつくるべくここに亜東親善協会と改名し新陣営で発足することになりました。今後益々交を修め誼を正し、大いに経綸を行いたいと存じます。

昭和45年6月10日